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名古屋地方裁判所 昭和51年(行ウ)51号 判決

原告 清田和夫 外二名

被告 渥美町長

主文

本件訴えをいずれも却下する。

訴訟費用は原告らの負担とする。

事実

第一申立

(原告ら)

被告が昭和五一年一一月一六日訴外中部電力株式会社に対してなした右訴外会社の渥美火力発電所第三号機及び第四号機設置に対する同意を取消す。

訴訟費用は被告の負担とする。

との判決を求めた。

(被告)

主文と同旨の判決を求めた。

第二主張

(原告ら)

請求原因

一  中部電力株式会社(以下「中部電力」という。)は、愛知県渥美郡渥美町大字中山字久工森地内に出力二四〇万キロワツト時の火力発電所を建設する計画を立て、通商産業省の認可を受けたうえ、昭和四四年六月頃同所で建設に着手し、第一号機、第二号機を設置完成し、昭和四六年から営業運転を開始した。

二  右第一号機、第二号機の営業運転の結果、右発電所から排出された煤煙による大気汚染のため人体及び農作物に顕著な被害をもたらし、排出温水による海水温度の上昇のため海産物の収穫が激減する等の公害を発生するに至つた。

三  そこで、渥美町は、中部電力との間に、昭和四九年七月二四日、公害防止協定(以下「本件協定」という。)を締結した。そして、本件協定第五条には「会社は、発電所の主要施設または公害防止施設の増設または変更を行う場合は、事前に町と協議して同意を得るものとする。」と定められているので、中部電力は渥美町の同意がなければ発電所の増設をすることができないのである。

四  ところが、中部電力は、同発電所第三号機、第四号機(いずれも出力七〇万キロワツト時)を設置しようとして、本件協定第五条に基づき渥美町に対し同意を求めた。

五  渥美町を代表する被告(当時の町長鈴木晴雄)は、昭和五一年一一月一六日中部電力に対し右増設につき同意を与えた(以下「本件同意」という。)。

六  本件協定の法的性質は行政(公法)契約である。

現代の環境・公害行政は、地域住民の生存権、環境権を保護することを目的とし、企業経済活動の自由に対する規則という社会国家的理念に立脚する作用である。

産業活動の無制約な発展は、必然的に排出物を爆発的に増大させ、大気、水などの環境を破壊し、ひいては人間の生命健康をも害するに至つた。環境は人間の生活に不可決であり、かつ、無限、無尽蔵なものではなく、有限の人類共有の財産ともいうべきものである。従つて、良き環境を享受することは、すべて国民に等しく認められる利益であるが、環境破壊行為は、環境を独占的に利用し、環境を汚染減耗させる違法行為であるから、原則として許されず、特に許容された場合にのみ許されることとなる。そこで、自由に行なえない汚染物質排水行為を例外的に許容するためには、各汚染物質発生源について個々具体的な施策が実施されることを要する。右のような施策を法律、条例で一律的に定めることは不可能に近い。

このようにして、公害防止協定は、現行法上の公害規制を補完あるいは代替する行政手段として、地域社会の実情や個別的発生源の特性に応じた適切かつ有効な具体的措置をとりきめようとするものであり、近時、健康や環境を守ろうとする地域住民の規範意識の成長を基礎として、地方自治体の環境対策の重視と企業の社会的責任の自覚とがあいまつて、多数の協定が締結されるようになつた。

公害防止協定は、法令あるいは条例に根拠規定を有するものではないが、自治体と企業との任意の合意に基礎をおき、公害防止のため具体的な作為、不作為の義務の定めを内容とするものである。かかる具体的な義務を定めた条項はたとえ罰則、行政強制を加えることができなくても、法的な拘束力を承認すべきである。すなわち、義務の不履行ある場合には司法上の強制に訴えることができると解されるのである。

しかして、公害防止協定は、地域住民の健康の保護、生活環境の保全という公共の利益のため締結されるものであり、公害規制のための行政手段としての性格を有するものであるから、民事(私法)契約ではなく、行政(公法)契約である。

本件協定も右と同様の性質をもつ行政(公法)契約である。

七  本件同意は抗告訴訟の対象たる「公権力の行使」に該当する。

1 本件協定第五条の趣旨は、現在問題となつている第三、第四号機の建設を含め主要施設の増設について、渥美町が中部電力に対し増設をしないよう一般的な不作為義務を命じ、同町の同意によつてこの不作為義務を解除することを定めたものである。

本件協定は、企業との合意に基礎をおく行政手段であるから本来の権力的行政手段そのものではないが、本件協定によつて同町が取得した公害規制の権限は、権力的行政手段と同様の構造と機能をもつものであつて、本件同意は、いわば準権力的行政手段として、「許可」と同様、抗告訴訟の対象たる公権力の行使に該当するというべきである。

2 現代における行政は、社会公共の秩序維持を目的とした行政にとどまらず、生活保障、資金交付、物資役務の提供、公共施設の設置など各様の作用に及んでいるが、これは必ずしも特定人に対する行政行為の形式で行なわれるものではなく、第三者との契約、行政指導、事実行為など非権力的な法形式によつて行なわれることが多いのであり、権力的手段と非権力的手段とが複雑に混合し、純粋に権力的手段と考えられる行政以外の行政によつて、国民生活は規律され、また、重大な影響を受けているのが現実である。従つて、権力行政と非権力行政とを峻別し、「権力行政は抗告訴訟、非権力行政は当事者訴訟」といつた類型的二分論を絶対視していたのでは、国民生活を左右する公役務活動の適法性を司法的に確保することが困難であり、国民の権利救済をはかることは不可能である。このようにして、行政処分の中には、公定力、不可争力のある行政処分のほかに、広く利害関係者がその法益救済のために行政機関の行為を直接に促えて対世的な是正を求め得る形式的行政処分を包含せしめることが承認されるべきである。

しかして、公権力の行使としての公権力性は、行政庁が国民個人の法益に対して事実上の支配力をもつている状態を広く指すものというべきであり、これに対して国民の法益救済を行なう必要があるのである。

本件同意は、原告ら地域住民にとつては、建設されるべき第三、第四号機の操業による健康や生活環境の侵害の危険をもたらす不利益処分である。

渥美町が右増設に同意すれば、その同意が期待されたような公害防止の機能を果たさない場合でも、地域住民としては同意のもたらす結果である健康や生活環境の侵害について実際上これを甘受することを余儀なくされるのである。従つて、同町は、右増設についての同意、不同意によつて地域住民の健康保護や生活環境の保全について事実上の支配力を有しているのであるから、地域住民は本件同意を公権力の行使としてその適法性について直接これを訴訟において争い得る途が開かれるべきである。

八  第三、四号機の増設は、地域住民の健康や生活環境に対して重大な侵害をもたらすものであるから、本件同意の権限を有する被告としては、少くとも、(一)公開された資料に基づく環境影響評価の実施、(二)その結果の住民への完全な公開、(三)そのうえで地域住民の合意の確認の手続を経ることが、条理上必要であるというべきである。

しかるに、本件同意は、右手続のいずれをも経ていないから、違法である。

九  本件同意は、相手方である中部電力に対し第三、四号機の建設を可能ならしめる利益処分であるが、同時に原告ら地域住民に対しては逆に建設される第三、四号機の操業により健康や生活環境の侵害の危険をもたらす不利益処分である。

本件同意により環境権の侵害があり、少なくとも法的保護に値いする地域住民の生活利益の侵害があるから、地域住民たる原告らは本件同意の取消を求める法律上の利益を有する。

一〇  よつて、原告らは被告に対し、本件同意の取消を求める。

(被告)

本案前の主張

一  本件同意は、行政事件訴訟法三条二項にいう「行政庁の処分その他の公権力の行使に当る行為」ではない。すなわち、抗告訴訟の対象となる「処分」とは当該行為が公権力の行使としてなされたものであることが必要であり、「公権力の行使」とは行政庁が法令の規定に基づき優越的地位に立つて行なう行為をいうのである。

しかるに、本件同意は本件協定第五条に根拠を有するにすぎず、本件協定は渥美町と中部電力とが対等の立場において任意に締結したものであり、法令又は条例の規定に基づくものではない。本件協定は、渥美町が地域住民の公共的利益を保護するために締結したものである点において公的な性格を有する面は否めないとしても、同町が特定の法令の根拠に基づき優越的地位ないし強制力を背後にもちつつ行なつた行為ではなく、これによつて具体的な事実について中部電力に対し公法的な義務を課し、権利を設定するなどの公法的な効果の発生を目的とするものではない。従つて、本件協定第五条に基づく本件同意は、行政処分その他公権力の行使には該当しない。一般に、「許可」とは行政法令による一般的な禁止を特定の場合に特定人に解除する行為であるが、本件においては、許可の前提となるべき行政法令による一般的な禁止という事実が存在しないから、これを解除するということもあり得ず、本件同意は「許可」ではない。また、本件同意は中部電力に対して権利又は法律関係を設定する行為ではないから、特許でもない。

二  原告らは本件同意の取消を求める法律上の利益を有しない。本件協定は渥美町と中部電力との間に締結されたものであるから、これにより原告らは同町もしくは中部電力との間に何ら権利義務の関係に立つものではない。また、本件協定第五条の同意によつて、原告らの権利義務ないし法的地位、法的利益に影響を与えるものではない。

さらに、本件同意の趣旨は、中部電力からなされた増設の協議申入れに対し、大気汚染防止対策その他が確実に措置されるならば異存はない、といういわば当然のことを答えたにすぎないものである。従つて、中部電力は、本件同意に基づき増設することのできる法的地位を獲得するものではなく、諸般の法律の根拠に基づく一連の手続、行為を履践し、それらの要件を満たして初めて増設することができるのである。そうであるから、仮に本件同意の取消しをみても、中部電力の法的地位に及ぼすことはなく、原告らの権利の救済には役立たない。

従つて、原告らは本件同意の取消を求める法律上の利益を有しないのである。

第三証拠〈省略〉

理由

一  行政における法治主義を基本原理とする我が国の法制は、行政庁による公権力の行使につき厳格な実体的、手続的要件を設定し、これらの要件を具備しなければ公権力の行使を許さないものとして、公権力の行使の適正を確保するとともに国民の権利利益を保護し、他方、一旦公権力の行使があつた場合には、たとえそれに瑕疵があつても、無効の場合を除き、公定力、不可争力等の効力を認めて、公権力の行使に関する法律関係の安定を図つている。

行政事件訴訟法三条二項には「この法律において「処分の取消しの訴え」とは、行政庁の処分その他公権力の行使に当たる行為(次項に規定する裁決、決定その他の行為を除く。以下単に「処分」という。)の取消しを求める訴訟をいう。」と規定し、同法一四条において取消訴訟については一定の出訴期間を定め、出訴期間徒過後はもはや当該公権力の行使の取消しを求めることができないものとしているが、これらを含む同法上の諸規定は前記理念の実定法的具現にほかならないのであつて、処分の取消しの訴えは行政処分その他公権力の行使を対象とし、行政処分その他公権力の行使の取消しを求めるには、行政事件訴訟法三条二項に定める処分の取消しの訴えの形式によらなければならないのである。

二  本件訴訟は同法三条二項に定める処分の取消しの訴えとして提起されているから、その対象である本件同意が「行政処分その他公権力の行使に当たる行為」であるか否かについて検討する。

成立に争いのない乙第一、三号証及び弁論の全趣旨によれば、本件協定は、法令上の根拠は有しないが、渥美町地内にある中部電力の火力発電所から排出される煤煙、温水等により地域住民の健康や生活環境が侵害されることを防止する目的をもつて、昭和四九年七月二四日渥美町と中部電力との間において対等の立場で任意に締結されたいわゆる公害防止協定であり、その内容は、公害防止計画書に基づく諸対策の実施、技術開発、違背時の措置、管理組織、測定検査の実施、汚染予報時の措置、事故時の措置、苦情の処理、損害の補償等について定め、その第五条第一項には「会社は、発電所の主要施設または公害防止施設の増設または変更を行う場合は、事前に町と協議してその同意を得るものとする。」と定められていること、中部電力は第三、四号機の増設について右条項に基づき同町に対し協議したところ、同町を代表する被告(当時の町長鈴木晴雄)は昭和五一年一一月一六日中部電力に対し本件同意を与えたことが認められる。

右の事実によれば、本件協定は、行政主体たる町を一方の当事者として、もつぱら、地域の公害を防止し、住民の健康保護、地域全体の生活環境の保全という公共の福祉実現を目的として締結されたところの、明らかに公共的性格を有するものであり、その第五条は、渥美町と中部電力との間において、中部電力は同町の同意を得なければ発電所の主要施設または公害防止施設の増設または変更を行なうことができないという具体的な不作為義務を定めているのであるから、本件協定のうち少なくとも第五条第一項の定めは、公法上の契約と解するのが相当である。しかしながら、本件協定は、前示認定のとおり、特に法令上の根拠を有する訳ではなく、当事者が対等な立場において任意に締結した契約に止まるのであつて、公権力の行使と目すべきところは全く介在しないのである。本件同意は、このような協定に根拠を有するのみで、契約に基づく同意権の行使に過ぎないのであるから、これを公権力の行使というのは当らない。

三  原告らは、本件同意が権力的行政手段と同様の構造と機能をもつから「許可」に準ずるものである、と主張するが、本来、許可権は法令に根拠をもつ行政庁の優越的権限であるのに対し、本件の同意は相手方との合意すなわち契約に根拠をもつ対等当事者間の非権力的行為であつて、両者の間には本質的な差異があるから、これを同視することはできない。

また、原告らは、多様化した現代行政が国民生活に重大な影響を与え、国民個人の法益に対して事実上の支配力をもつているから、これを公権力の行使と把握して国民の利益救済を図る必要がある、と主張するが、現代の行政にこのような影響性、事実上の支配力があるとしても、そのことをもつて、本件の如き同意を行政事件訴訟法三条二項の公権力の行使とすることは相当でない。

行政主体ないしは行政庁の非権力的行為に関して国民の利益救済を図るにはそれに即した訴訟形態を利用すべきであつて、公権力の行使を争う取消訴訟を利用することは許されないのである。

四  以上の次第で、本件訴えは、処分の取消しの訴えとして提起されたものでありながら、その対象である本件同意が行政処分その他公権力の行使に当たる行為には該当しないものであるから、不適法な訴えとして却下を免れない。よつて、訴訟費用の負担については民事訴訟法八九条、九三条を適用して、主文のとおり判決した。

(裁判官 藤井俊彦 窪田季夫 山川悦男)

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